OHYAMA
KANKOUKYOUKAI

 

 

 狛犬はおもに神社におかれるが寺にもおかれる。辟邪(へきじゃ)といって心のよこしまなものが入り込むのを防ぐためにおかれた「守護獣(神)」である。原点は百獣の王と恐れられたライオン(獅子)である。エジプト・インドを経て中国で獅子になりわが国で狛犬になった。朝鮮を高麗(こま)・狛と称したことから出ているが、外来の犬くらいの意味である。わが国では平安時代に始まり阿吽(あうん)の開口と閉口になっている。阿は獅子で吽の角をもつものが狛犬だったが、鎌倉・室町期ころから角が失われた。屋内のものは木造で屋外のものは石造(陶製などもある)が多く、江戸時代以降さかんに作られた。

 有峰の狛犬は東谷宮の社殿のひさしの下に8体4対がおかれていた。明治43年(1910)の山岳雑誌の写真にのっている。大正10年(1920)有峰が県有地として買収され廃村となった。 紆余曲折を経て松本民俗資料館に収った。狛犬が社殿におかれた位置による違いからか、風雪の影響がみられ製作年代に相異があるか判断できないが村の成り立ちから室町期からさかのぼるとみられる。一説に鎌倉期という人もいる。作者は有峰の人より円空のような漂白の彫り師だったかも知れない。4対はいづれも阿吽の様相で、角をもった対は2対みられ、儀軌(仏像製作の約束)にかなっている。 また、作物を荒らす野獣を調伏するために彫ったともいっている。

 

 
 通称シシと言われている。社殿の見世棚の最前部におかれていた(明治43年の写真による)せいか風触が一番激しく木目がきわだって出ている。吽形の像は一角を有し狛犬と判別される。
 
 通称サルとも言われている。吽形の像の頭部には一角を嵌込んだほぞ穴が残っている。この像は左胸部がはく落とし、左脇部にも節の抜けた穴がみられる。シン・サルともに守護神として恐い面想をしており、伝統的な古様を残しているようである。
 
 クマと呼んでいる。たてがみが彫られていない。また角の痕跡もないが、阿吽の対をなしている。像は木の芯を中心において彫り面取りもみられ彫刻的に最も整うところから対のうち最も新しいようだ。
 
 通称とは「ヌエ」。何故ヌエと名付けられたか不明、怪獣の意味か。一番抽象的な彫りで、とくに小さな像の脚部にその傾向がみられ、この像は後に彫られたと思う。これもたてがみがない。見方によっては狐、または狼にもみえる。